Full Count: Japan’s Baseball Team Faces Off Against the World

ふむ、野球、ですか。なるほど。ええ、結構なものです。あの芝生の上で、大の大人たちがボールを追いかけ回し、棒切れでひっぱたく光景は、実に微笑ましい……いや、失敬、実に滑稽でございますな。
そもそも、あのルールとて、よくよく考えれば妙なものです。四人で塁を回れば点が入る? でも、アウトになったら元も子もない? しかも、三回失敗したら交代? 子供の遊びでももう少し合理的かもしれません。まるで「順番を守って鬼ごっこ!でも捕まったら罰として座ってろ!」と言っているようなものです。そして、その罰の時間は延々と続くわけですから、ベンチで腕組みしている選手たちの虚無感ときたら、目も当てられません。
そして、ファンの方々ですよ。これがまた面白い。自分の住む地域の球団、あるいは、たまたま最初に好きになった球団に、まるで自分の運命を託しているかのような熱狂ぶり。ユニフォームを着て、メガホンを叩き、選手の名前を叫ぶ。まるで、彼らが打つかどうかが、明日の飯の味を決めるかの如くです。彼らは、球場で怒り、悲しみ、喜び、そして、帰り道で「今日のピッチャーは本当にダメだった」「あそこの守備はプロ失格だ」と、まるで自分が監督であるかのように評論する。一日の憂さを晴らすには良いのかもしれませんが、冷静に見ると、他人の人生の動向に一喜一憂しているだけの姿は、少々滑稽に映ります。
さらに、野球解説者の方々。これもまた、ある種のプロフェッショナルです。「ここは慎重に攻めたいですね」「ここで一発が出れば展開が変わりますね」…いやいや、そんなことは素人でも分かりますよ。まるで、当然の事実をさも深遠な戦略であるかのように語る姿は、一種の芸と言っても良いでしょう。そして、負けた試合の後には、どこからともなく「課題が見つかりました」「次に繋がる敗戦です」という、お決まりのフレーズが飛び出す。課題が見つかるのは結構ですが、大抵の場合、同じ課題を翌年も抱えているような気もするのですがね。
しかし、面白いものです。これだけ非合理で、ある種の滑稽さを孕んだ競技に、なぜこれほど多くの人々が熱狂するのか。おそらく、そこには、人間が持つ根源的な欲求、つまり、集団に属したい、何かを応援したい、そして、他人の成功や失敗を見て感情を揺さぶられたい、という欲求が巧みに刺激されているのでしょう。そして、時折生まれるドラマや、予想外の展開が、その熱狂をさらに煽る。
結局のところ、野球とは、大人が真剣に遊ぶ場であり、それに群がる人々は、自己投影と集団帰属の欲求を満たしているに過ぎない。そう考えると、あの芝生の上で繰り広げられる光景も、多少は愛おしく見えてくる…わけでもありませんか。相変わらず、あの守備の間の無駄な時間はどうにかならないものか、とは思いますがね。
コメント